アメリカンスナックの王者といえばホットドッグ。特にメモリアルデー(5月)からレイバーデー(9月)までの夏季には、全米で総計70億本ものホットドッグが消費される。
ニューヨークはそのホットドッグ発祥の地。海水浴場コニーアーランドでドイツ移民チャールズ・フェルトマンが、おなじみの「調理器具付きのカート」を引いたのが始まりといわれている。ドイツ伝来のポークソーセージを暖かいコッペパンに挟んだら「ビーチでもストリートでも焼きたてを手づかみで食べられる」と評判に。この成功を土台にフェルトマンはビアガーデン付きの広大な飲食施設をコニーアイランドのど真ん中に開業。そこで提供する1本10セントのホットドッグが地元名物となった。
元手は300ドル
そのフェルトマンの店でホットドッグのパン切り職人として働いていたのが、ユダヤ人労働者のネイサン・ハンドワーカーである。ポーランドの最貧農地帯といわれたガリシア地方から、人種差別と貧困と紛争を逃れて1912年に20歳で米国に渡って来た。靴職人の息子で小学校も出ていない。家にも帰らず1週間がむしゃらに働いたネイサン。貯まった300ドルばかりを元手に、友達と豆のような店舗を借りて創業したのがネイサンズの始まりである。ちょうど今から101年前、1916年(大正5年)の話。
フェルトマンからの独立は円満とはいえ、はたから見たらかなり挑発的だった。まずネイサンは、ホットドッグ1本の値段を5セントに引き下げた。誰でも買える庶民の食べ物とし、薄利多売に賭けた。「儲けが出るはずはない」と呆れ顔の友達は早々に出資金を引き上げ撤退した。また、新参なのに店名を「Nathan’s Famous(ご存知ネイサン屋)」と謳い、いかにも昔から人気があるような体裁にしたのも彼の商魂である。
何よりもの違いは、フェルトマンがドイツ風ポークソーセージを売りにしていたのに対して、ネイサンは100%ビーフ。これには宗教上の理由から豚肉食が禁忌されているユダヤ教の労働者たちが歓喜した。ソーセージの製造業者は、開店当時からずっとブルックリンの「ハイグレード食品社」である。使う牛肉はサーロイン、ほほ肉、肩ばら肉など高級部位の「切り落とし」。焼きたてを噛むと「パチン」と弾けるケーシングは、スイス産のヒツジの腸。ネイサンは納品があると真っ先に食品社に駆け付け、自ら素手でソーセージの弾力を確かめ、実際に一口噛んで歯ごたえを確認していた。レベルに達しない商品は突き返したという。これだけ味と品質に気を遣っていたのは、貧しいポーランド時代の空腹が記憶から消えなかったからだろう。
エンタメ的仕掛けも
「うまい、安い、早い」の3拍子で順調に売り上げを伸ばし、店も拡張したネイサンだが、思わぬ障害に遭遇した。国内各地の食肉工場の劣悪な衛生管理が明るみに出て、みんながソーセージの中身に不信感を抱き始めたのだ。実際、馬肉や犬肉まで混入する業者もあったようだ。1本わずか5セントのネイサンのホットドッグは疑われて当然だ。
そこで商売人ネイサンが案じた一計がイカしていた。店の近所の病院の掃除人たちに呼び掛けて、白衣と聴診器をあてがい医師になりすまさせ、店先でこれ見よがしにホットドッグを頬ばらせたのである。道ゆく人々は「お医者さんたちが食べているのならこの店のホットドッグは安心」と納得して、われ先に5セントドッグに飛びついた。抜群の広告効果?で、売上はみるみる回復。コニーアイランドという土地柄か、創業101年ネイサンズの成功史には、こうしたエンタメ的な仕掛けが何度も見え隠れする。(8月4日号に続く)
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Nathan’s Famous
正式社名はNathan’s Famous。1916年ニューヨーク市ブルックリン区コニーアイランドで創業。100年間、同じ味、同じ名前で人気を誇り、全米50州と海外10カ国で5300店舗以上を展開する。通算販売本数は5億超。1987年、ニューヨーク証券取引所上場。米独立記念日(7月4日)に開催される「ホットドッグ早食いコンテスト」は今年で101回を迎えた。
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取材・文/中村英雄 映像ディレクター。ニューヨーク在住26年。人物、歴史、科学、スポーツ、音楽、医療など多彩な分野のドキュメンタリー番組を手掛ける。主な制作番組に「すばらしい世界旅行」(NTV)、「住めば地球」(朝日放送)、「ニューヨーカーズ」(NHK)、「報道ステーション」(テレビ朝日)、「プラス10」(BSジャパン)などがある。