NYのアイコンと呼ばれた紙コップ コーヒーが75セントだった時代の定番

 さて突然ですが、ここでクイズです。テレビシリーズ「Law & Order: Special Victims Unit」「Mad Men」、そして映画では「Men in Black」。どの作品もニューヨークを舞台にした人気作品ですが、ニューヨークらしさを演出するために用いられたプロップ(小道具)があります。それは何でしょう。
 もうお気付きですね。ここに堂々と鎮座する、そうこのカップ。最近でこそあまり見かけなくなりましたが、10年以上前から住んでいる人なら知らないはずがない!ダイナーやデリ、屋台で買う、75セントコーヒーが入ったこのカップ。これ以外に何がある?というぐらいのド定番だったのだから。

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1、青と白は、ご存知、ギリシャ国旗の色
2、よ〜く見ると、Eが古代ギリシャ文字になっている
3、Anthoraの語源となったAmphora(入れ物)。古代ギリシャでは壺のようなものにワインや飲料を保存していた
4、中華どんぶりにあるナルトのような絵柄。ギリシャ神殿などに頻繁に使われた伝統的デザインだ
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ホロコーストを生き延びた男がデザイン
 このカップには正式名称がある。「Anthora」というらしい。Anthoraの語源は、「Amphora」にある。ギリシャ語で、入れ物という意味だ。このカップの生みの親であるレスリー・バックさんがAmphoraと発音していたのにもかかわらず、出身地・東欧訛りのAnthoraと聞こえたことから、英語名がこうなったとの説もある。
 バックさんは1922年、チェコスロバキアのフスト(現・ウクライナ)でユダヤ人の両親の下に生まれた。両親をナチスドイツに殺され、自身もアウシュビッツ=ビルケナウとブーヘンバルト強制収容所を生き延び、第二次世界大戦後、難民としてニューヨークに流れ着いた。同じくホロコーストを生き延びた兄弟と一緒に50年代、輸出入の会社を立ち上げ、「シュリ・ペーパー・カンパニー」を設立した。2010年に87歳でパーキンソン病の合併症で亡くなるまで、主にロングアイランドで暮らした。
 家族や祖先のいる国を出るというのは想像以上に寂しいものだ。難民として住む場所を追われ、祖国にはもう戻る術がない場合はなおさらだ。帰れない故郷を思い、同社でマーケティングマネージャーをしていたバックさんはその郷愁をカップに投影させた。ニューヨークのダイナーや屋台のオーナーにギリシャ系移民が多かったことにも目を付けた。異国で望郷の移民たちを癒したい気持ちもあったのだろう。こうして、あの有名な文言、「We are happy to serve you」が生まれた。63年のことだ。
 94年には5億個のセールスを記録。95年、ニューヨークタイムズは、「多分、歴史上最も成功したカップ」と評した。それが約10年の間で減り続け、同紙の調べによると、2005年には2億個となっていた。10年には製造販売を停止。既に土産物としての地位を確立していたカップは、発注分だけを出荷していた。

アイコンとして生き残る
 5年の間に2億がほぼゼロになった背景には、あまりにアイコニックであるがゆえの宿命があったのかもしれない。それは遺跡のように保存されはしても、移り変わりの激しいこの街で、通勤途中のニューヨーカーの手に握られるものではなかったのだろう。
 理由は他にもある。2000年を過ぎたころには、コーヒーのセカンドウェーブが到来。昔ながらのダイナーは姿を消し、デリや屋台のコーヒーより、人々は緑色の女神がほほ笑む、ソイなんていうおしゃれなミルクで割られたコーヒーに歓喜していたのだから。流行というのは、なんとも残酷なものだ。
 しかし、このカップは、遺跡になっただけでも幸運なアイテムだったといえよう。遺跡はアイコンとなり、人々の記憶に強く焼き付けられた。ときにパロディも生まれた。
 17年7月、ニューヨークでメンズのファッションウィークが開催されたとき、スニーカーブランド「ニューバランス」は、湿気と暑さでやられたニューヨーカーたちを癒すため、アイスコーヒーを無料で配布するキャンペーンを行った。カップはどこかで見たことのある、あのデザイン。例の名言の部分には、「We are happy to STYLE you」。ウィットに富んだアイデアが、なんともニューヨークらしい。こうしてニューヨークのアイコンが受け継がれていくのなら、なんともうれ しいではないか。

取材・文/山田恵比寿 外資系出版社勤務を経て、2014年からニューヨーク在住。特派員としてインターナショナル誌の編集やコーディネートを担当する。