パニック障害(下)
大山栄作 Eisaku Oyama, M.D.
ニューヨーク州立マンハッタン精神病センター精神科医。安心メディカル・ヘルス・ケア心療内科医。1993年東京慈恵医科大学卒業。2012年マウントサイナイ医科大学卒業。米国精神医学協会(APA)会員。日本精神神経学会会員。日米で10年以上の臨床経験をもつ。
突然、動悸が激しくなり、脈が早くなり、汗をかいたり息苦しくなったりする発作に襲われ、死の恐怖を伴う不安感に苛まれる病気、「パニック障害」は、うつ病と同類の心の病気だ。正確には、脳内神経伝達物質のバランス欠損による「脳の病気」である。前回は、パニック障害の原因とメカニズムに関して学習したが、今回はその治療法について大山栄作医師に話を聞いた。心療内科が専門の同医師は、ランドールズ島にあるニューヨーク州立マンハッタン精神病センターで米国人の精神病患者の治療に当たる他、主に日本人を対象にした「安心メディカル」で外来治療に携わっている。
Qパニック障害には、突然襲って来る「パニック発作」、再び発作が来るのではないかという「予期不安」、その不安ゆえに人混みや公共の場所に出るのが怖くなる「広場恐怖」の3つの症状があること。またその原因は、脳内の神経伝達物質セロトニンの分泌不足にあることも理解できました。さて、パニック障害は治る病気なのでしょうか?
A脳の病気の中でもパニック障害は医師の指示通り正しい薬を服用すれば比較的治りやすい病気です。また、うつ病と違って自殺につながるケースが少ないので、気長に治療すれば、完治とまではいかないまでも、寛解(症状が落ち着いて安定した状態。再発の可能性はゼロではないので注意が必要)はするでしょう。
Q具体的には、どんな治療法を用いるのですか?
A現在は、SSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)を使う治療法が主流です。
Q本シリーズ5回目の「うつ病」(中)で紹介いただいた薬ですね。
Aはい、同じ薬です。少し込み入った話ですが、大事なポイントなので復習しておきましょう。神経伝達物質セロトニンは、シナプス前細胞からシナプス間隙という場所に放出されるとシナプス後細胞にある受容体でキャッチされます。ところが、その間隙で受容されない(余った)セロトニンがあって、これらは通常「再取り込み」(消化吸収)されて再利用されますが、そもそも、うつ状態の患者さんはセロトニンの分泌が少なく、その濃度が下がっていますから、この薬を使うと、再取り込みが抑制され、結果的にセロトニンの濃度が上がる…といった仮説を基にして開発された薬、それがSSRIです。
Qうつ病治療ではかなりの成果が上がっている薬でしたね。
Aはい。完璧ではありませんが、かつての三環系の抗うつ剤よりは副作用が格段に少なく、効果的です。
Qセロトニン濃度を上げるSSRIだから、セロトニン不足が原因のパニック障害にも効くという理屈ですね。
Aはい。セロトニンを増やすことで「不安」の症状が改善されます。SSRIは少量投与から始めて、次第に量を増やしていきますが、効果が現れるのに2から4週間かかります。そこで治療の初期段階では効果が早く現れるベンゾジアゼピン系の抗不安薬を併用します。
Q難しい名前の薬ですね。即効性があるのならこちらを重点的に使えばいいようにも思えるのですが?
Aベンゾジアゼピン系抗不安剤とは、一般的には「精神安定剤」と呼ばれるもので、いくつもの種類が広く普及しています。その作用は、お酒=アルコールに似ていて、神経伝達物質GABA(本シリーズ3回目の「薬物依存症」(下)を参照)の受容体に作用して、心配を取り除き、リラックスさせる効果があります。ところがこの薬は一度使い始めるとどんどん服用量が増える傾向があって依存性が高いのです。なので、パニック障害治療の場合も、初期の「パニック発作」を抑制する段階でのみ使います。服用量に関しては医師の指示にきちんと従っていれば薬物依存になることはありません。
QSSRIには副作用はないのですか?
Aあります。飲み始めの1から2週間は、下痢や吐き気が起きることがあります。この時期を乗り越えると楽になるので、あとは薬の量を調整しながら、1年ぐらいかけてゆっくり治療します。パニック障害は、パニック発作の再発率が非常に高い(30〜40%)ので、まずは発作とそれに伴う不安を抑えることが肝要です。それが安定したところで、人前や公共の場に出る練習を少しずつ始めましょう。
Q以前、本紙でも取り上げましたが、ハーブなどの代替治療がパニック障害に効いた事例もあります。
A有名なのはSaint John’s Wort(和名:セイヨウオトギリ)ですね。これは、はっきり言って効果があるかどうか、よく分からないのです。セロトニンを出すという説もありますが、全く薬効を否定する学者もいます。SSRIと併用するのは問題ないと思います。僕の意見では、パニック障害の改善は、脳内物質セロトニンのバランスを整えてあげるのが一番だと思います。
Qパニック障害にならないような予防法はあるのですか?
Aこれは難しいですね。一説によると、この病気は遺伝的な性格もあって、家族にパニック障害を持つ人がいると本人もなりやすいといわれています。また、前回もお話ししたように、ストレスがこの病気の引き金になるケースは多いです。
Q試験や面接の前など緊張が高まった局面で襲われるという話もよく聞きます。
Aそうですね。勉強でも仕事でもニューヨークという場所は人前でスピーチしたりプレゼンテーションをする機会が非常に多いです。中には性格的に内気で社交が苦手な人も大勢いると思います。social phobia=社交嫌いの人は、とかくストレスをためやすく、「パニック障害の予備軍」といえるかもしれません。
Q脳内の故障でありながら、社会的要因も絡んでくる病気なのですね。
Aはい。心の病気=脳の病気の治療に当たって一番大事なことは、自分を受け入れること(自己受容)です。落ち着いて客観的に自分のどこに長所と弱点があるかを見極めてください。弱点だと思ってコンプレックスを感じていた部分も、よく考えてみると長所だったりすることもあるのです。「俺ってダメだなあ」「私なんかクズよ」と自分ばかりを責めてはいけません。自分だけで解決しようと決して考えないこと。患者さんは堂々と助けを求めてかまわないのです。助けるために医師や看護師がいるのですから。病気や依存症の部分も含めた「自己肯定」そして「自己愛」。これが心の病気=脳の病気の治療では、基本的な姿勢です。
大山先生は、在留邦人のメンタルケアと並行して、重い心の病気ゆえに犯罪を犯し、社会に不適応となった人たちの治療にも当たっていますね。最近、とみに増えている自殺や銃乱射テロ、レイプ、ヘイトクライム、猟奇犯罪には心の病気が原因になっているものも少なくないと聞きます。次回は、マンハッタン精神センターにおける臨床エピソードを交えて、「心と犯罪」についてお聞かせください。