日本では、「半強制的」「役員は持ち回り方式」「保護者同士の社交」など、ネガティブな印象がつきまとうPTA活動だが、米国の学校ではPTAに参加する保護者にそのようなプレッシャーはない。米国では保護者の学校参加は教育の一部として期待されており、特に予算削減に直面する公立校では、保護者の参加なしには学校運営が成り立たないほど重要な存在となっている。保護者参加を前提として学校が存在していると言っても過言ではないだろう。学校にとっては、寄付金だけでなく、学内行事をはじめさまざまな仕事が保護者のボランティアで支えられている。
保護者も学校生活に参加
米国の学校では「Parents
involvements」という言葉をよく聞く。保護者が子どもの学習や学校生活を積極的に支援することで、子どもの将来を成功に導くという考え方だ。
これには、子どもの学習を家庭で助けるという教育への直接的なinvolvementと、学校をより良くすることで子どもが優れた教育を受け、成長につながるという間接的なinvolvementがある。米国の学校では日本以上に保護者のボランティアが求められる機会が多い。昼間、校舎に入ると、必ずといっていいほど廊下やオフィスで仕事をしている保護者を見かけるほどだ。
米国の学校における担任と保護者の関係
日本でクラス(学級)に所属する児童・生徒の教育に責任を持つ担任教師(以下、担任)と子どもの関係は、小学校から高校に至るまで、米国のhomeroom teacherと比較して、より親密といえる。学校行事もクラス対抗で行われたりと、社会性を育むという教育的な意味も含め、クラス結束の意識は大きい。その担任となる教師は、クラスの生徒全員の学校生活全般を見守る存在、いわば「クラス=家族」の親のようなもので、保護者にとっても自分の子どもと学校の接点はまず担任から始まる。
反面、米国では高学年になるほどクラス単位での行事は少なくなり、高校になるとクラス担任という概念がほとんどなくなる。大学のように各科目の専門教室へ移動して授業を受けるようになるため、クラス担任はいても、お知らせのために短時間ホームルームの時間に会うだけで、「クラス」や「担任」は形骸化してくる。高学年になればなるほど、1人の担任が自分のクラスの生徒全員を理解し、進路や生活面での相談をする相手ではなくなってくるのだ。学校では生活や心理面、進学面など、それぞれの専門家が分業体制でチームとなって生徒を指導し、担任も、その分業の一端を担う形に近い。
米国の学校で、担任に「子どもがいじめられているようだ」「登校したがらない」「宿題をやりたがらない」などと相談した際に、「それではスクールカウンセラーと話をしてください」と告げられた経験のある保護者も多いだろう。学校での子どもの様子が気になる場合も、彼らの日常の様子を観察するのは担任ではなく、スクールカウンセラーやサイコロジストであり、子どもと話をするのも、その報告が上がるのも彼らからになる。基本的に担任は、学業面での責任を持ち、生活面は別の専門家が担うといったアプローチだ。
日本のように連絡帳のやりとりも一般的ではない。ニューヨーク市など、基本的に徒歩で子どもの送り迎えをする場合は、毎日担任と顔を合わせる機会があり立ち話も可能だが、郊外の車社会での送り迎え、共働き家庭でのシッターによる送り迎えの場合はそのような機会も少なくなる。また日本のように、担任が自分の子どもの全てを把握してくれている、もしくは把握しようと努めているわけでもない。そのため、子どもの学校での様子を知りたい場合は、保護者がボランティアとして積極的に学校に関わる、つまり自分の顔を学校側へ見せる機会を増やすしかないのだ。また、子どもが異文化環境に置かれていることへの(教師の)理解を促すためにも保護者の顔を学校側に見せることは大切だ。
保護者ボランティアもさまざま
保護者のボランティアはさまざまな場所で求められる。クラスの学習や活動の手伝い、遠足やフィールドデー(日本の運動会のようなもの)などの学外活動での付き添い(シャペロンchaperon)、 ベイクセール(学校で焼き菓子などを販売して資金を集めるイベント)の開催、ブックセール(学校で本を販売して資金を集めるイベント)の手伝い、コピー取りやお知らせの配布、図書室当番、美術室や音楽室の整理整頓、教師の助手、忘れ物の管理、ワークショップやイベントの手伝い、各家庭への寄付勧誘電話、そしてどの学校でも一大イベントである資金集めパーティーの企画・運営なども含まれる。資金集めパーティーでブース出展ボランティアを募集していたら、自分の技術や技能をドネーション(寄付)するという形で、習字やきものの着付け、日本料理教室などを開催するのもよい。
学年末は参加のチャンス
ボランティアの精神「できる人ができるときに顔を出す」は理解していても、出欠の厳しさや拘束時間の不公平さに加え言葉の壁などからおっくうになってしまうかもしれないが、心配は無用だ。保護者が使う「体と時間」は寄付金と同等に感謝される。特にこれから学年末にかけてはイベントが増え、ボランティア参加の機会も多くなる。まずは楽しむつもりで参加してみよう。
(文・河原その子)